タイレルの誕生ストーリー
Behind the story of Tyrell
始まりは何気ない好奇心だった
~タイレル・ブランドストーリー~
Velo(ベロ)とはフランス語で自転車のことをさす。MiniVelo(ミニベロ)はホイールが20インチ程度以下の小径自転車のことである。小径自転車は漕ぎ出しが軽いためトップスピードが出やすく、小回りが効くことから、とりわけ都市部でのコミューターやレジャー用途として人気がある。
今でこそ、スタイリッシュで走行性能も高いミニベロが国内外のブランドから数多く販売されているが、2000年当時は、本格的なミニベロは、海外の数少ないメーカーから輸入・販売されているだけであった。また当時の日本でミニベロと言うと、いわゆる安価で性能の良くないミニサイクル、というイメージが一般的であった。
そんな中、2004年、社名をアイヴエモーション(IVE emotion Co.,Ltd)として、当地で創業し、国内では数少ないスポーツバイクの専門メーカーとして香川県さぬき市で産声をあげた。
子供のころ
サラリーマン時代(東京)
“独学”で自転車作りの道へ
廣瀬は1963年、香川県さぬき市で生まれた。子供の頃は野遊びが好きな一方、プラモデルづくりが大好きだった。また脚が速くスポーツは万能で、学校の代表として優秀な記録を残していた。地元の高校を卒業したあと関東の国立大学に進学、大学院を修了後、東京の都市計画コンサルタント会社に就職した。
コンサルタントして、全国の自治体等へ出向き、忙しい日々を送る生活を送っていたが、40歳を目前にした2003年の夏、故郷にUターンすることを決意した。地元に戻って半年ほどのんびりと過ごし、都会の喧騒から離れた暮らしの中で彼の頭に浮かんだのは、大好きな自転車、とりわけミニベロの製作だった。
東京で暮らしていた1995年代頃、廣瀬の生活の足は自転車であった。洗足池から五反田までが通勤路で、週末は、近くの多摩川の自転車専用路を、お気に入りのピナレロ・プリンスでサイクリングを一日楽しんでいた。気がついたら、自宅に3台の高級車が鎮座していた。当時は、ちょうどヨーロッパブランドの高級小径自転車が日本で流行りはじめた頃でもあった。駐車場の心配がなく、渋滞の車の群れを横目に風を切って走る自転車通勤は、思った以上に快適であった。
Uターン後、「香川でも好きな自転車を楽しみたい、どうせならコンパクトなミニベロがいいだろう」と、ミニベロの購入を決意するが、結局購入にはいたらなかった。見た目も性能面でも所有欲を満たすものがなかったのである。
“満足できるミニベロがないなら、自分の手で作ってみるか”。そんな何気ない好奇心から、廣瀬は独学で自転車の勉強をスタートした。時間はたっぷりある。まずは自分の自転車を分解しながら構造の研究に明け暮れた。専門書を読みあさり、設計も独学でマスターした。こうして自転車製作のノウハウ習得にのめり込む日々のなかで、廣瀬は人生の目標を見つけた。それは世界一軽量で高性能な究極のミニベロを作ること。そしてなによりカッコいいこと。廣瀬は自分が理想とする自転車のフレームを図面に描き上げた。こうして誕生したのが、タイレルに今も脈々と受け継がれるオリジナルのデザイン、「スラントデザイン」である。
試作模型
次の課題はこのフレームを試作してくれるメーカー探しだった。最近の高性能なロードバイクには、航空機に使われるアルミ合金やカーボン、チタン合金など多彩な素材が用いられている。メーカー探しは難航した。やっとの思いでチタン合金の加工が出来るという東大阪のメーカーを探し当てた廣瀬だったが、フレーム製造の経験はなく、結局満足できるフレームは出来なかった。
メーカー探しとともに、素材の購入も一筋縄ではいかなかった。大手製鋼メーカーにかたっぱしから電話やメールで問い合わせるものの、結果はどれも同じであった。自転車用のチューブはさまざまな肉厚をもった特殊な構造のため、国内ではどこも作っていなかったのである。作ってくれるというところも中にはあったが、少数の生産には応じてくれなかった。
「日本では製造はおろか、素材の調達すらできない。日本では作れない。」
“自分の手で最高のミニベロを作る”という廣瀬の計画は暗礁に乗り上げた。
ビジネスの出発点は“納屋”
しかし、半ばあきらめかけていた廣瀬のもとに朗報が舞い込んできた。当時台湾では、欧米の大手自転車メーカーのフレーム製造が盛んで、自転車製造が国の主力産業となっているという情報を耳にはさんだのである。早速台湾のメーカー数社に連絡を取り、試しに図面を送ってみたところ、図面に修正を加え送り返して来たメーカーがあった。廣瀬はこの時ようやく、「できる!」と確信した。
さっそく台北で行われていた国際自転車ショーに出向き、その会社を訪問した。彼らは快くフレームの試作を引き受けてくれ、ようやく自転車の骨組みとなるフレームの完成にこぎつけた。できあがったフレームに必要なパーツを取り付け、1年がかりでなんとか試作車が完成した。大きな夢が現実の形となった。
台湾ショー2004
台湾ショー2005
試作車1号 SZ
ミニベロは、小回りが効くなどのメリットの反面、路面の振動を拾いやすい、ロードバイクのような大径車に比べると直進安定性に劣るといった、特有のマイナス面がある。しかし廣瀬は、ミニベロだからという理由で妥協はしたくなかった。ホイールベースを長くし直進安定性を高めるなど、その後数々の改良を積み重ねていった。多くの試作を繰返し、デザインにもとことんこだわり、ブランドの顔となる、これまでにないフォルムのフレームへとブラッシュアップしていった。
試作車 PK1
試作車 PKZ
以降も廣瀬は時間をかけて改良を重ね、ようやく形になった2代目の試作車を自転車仲間に乗ってもらうことにした。「ミニベロとは思えないほどよく走るね」、「ほかにない独特のデザインがいい」。評判は上々で、目標の実現に向け確かな手ごたえを得た。
そもそも、自分を満足させるために始めた自転車作り。それがいつの間にかビジネスチャンスを生んでいた。2004年5月、廣瀬は故郷に自身の会社を立ち上げた。社名は、廣瀬が尊敬するアップルコンピューターの最高デザイン責任者ジョナサンアイブ、そしてI have emotion=「感動をもって取り組んでいきたい」という2つの思いを込め、”アイヴエモーション(I’ve emotion)”と命名した。「趣味から始まった自転車作りが、まさか本業になるなんて」、廣瀬は笑いながら当時を振り返る。
会社設立とはいえ、立派な社屋などというものはなかった。本社として実家の住所を登記した。オフィスは木造の納屋、社長兼社員1名での出発である。その後、アルバイト1名が手伝ってくれることになる。
自宅の納屋
会社の設立とあわせ、ブランドネームをTYRELL(タイレル)と命名した。TYRELLは、伝説的なSF作家P.Kディック原作のSF映画に登場する名前にちなんだものである。廣瀬がこの映画の原作となった小説を敬愛していたことに加え、その名前のもつ響きに強く惹かれたからだ。
映画の中では、テクノロジーの集大成であるアンドロイドが心をもち、人間以上に人間らしくふるまおうとする様子が描かれている。かたや、進化を続けながらもその基本構造が誕生以来変わらない乗り物、自転車。デジタルとアナログ、進化と普遍性という相反する面をもつ点において、この両者には共通項がある。鋭い感性で未来を先取りしつつも、常に本質を大切にしようとする企業の姿勢そのものが、“タイレル”というブランドネームに表されている。
クリエートは止まらない
こうしてバイクビジネスのスタートを切った廣瀬は、市場の反応を探るために2005年3月、財団法人日本自転車普及協会自転車文化センター主催の「ハンドメイドバイスクルフェア2005」に出展した。出展スペースは共用ブースの一角を使った小さなものであったものの、サイクリングシティバイク部門で最優秀賞を受賞した。初出展でいきなりの快挙であり、廣瀬はマニアの間で一躍時の人となった。
バイシクルフェアー2005
SZの発売(2005年)
上々の滑り出しを見せたTYRELLだが、いくらいい商品であっても取り扱う店がなければモノは流通しない。次のステップは販売の仕組み作りである。廣瀬は商用バンに試作車を積み、全国の自転車小売店を回りながらの営業活動をはじめた。実際に試乗し気に入ってくれた4店舗が取扱いに応じ、いよいよ本格的な販売がスタートした。
GCSでの取扱開始
2005年4月、TYRELLはその記念すべきファーストモデルとして、SZ,PK1,PKZの3機種の発売をスタートした。カタログ用の写真は自らの手で撮影した。リリース後瞬く間に人気となり、新興ブランドながら初年度に78台もの販売を達成した。翌年には海外への輸出も開始するなどその後も順調に販売数を伸ばし、国内外で一気にファンを獲得していった。
香港での発売開始
韓国での発売開始
シンガポールでの発売開始
世間には一定の成功を収めると、その現状に満足してしまい、勢いの衰えてしまうことが少なからずある。ところが廣瀬は違っていた。「もっといいものを」という彼のクリエーター魂は、消えるどころかますます大きくなっていった。廣瀬は2007年、実家からほど近い田園地帯の一角に工場を借り、”TYRELL”の看板を掲げる新たな拠点を築いた。第二章の幕開けである。
貸し倉庫で活動
サイクルモード2007
新たな拠点とともに、廣瀬に賛同する仲間が一人、また一人と増えていった。廣瀬は人材というかけがえのない宝を手に入れ、これまで以上に新機種の開発に没頭した。
取材に訪れたテレビ局のスタッフ(右から3人目)と記念撮影(2010年)
そして2010年4月、ブランドを代表する名機であり、今もなおベストセラーモデルとして君臨する、「FX」が誕生する。TYRELL初の折り畳みモデルである。もともとお隣、韓国のユーザーの要望から生まれたモデルであるが、着想から完成まで2年の歳月を要した廣瀬渾身の作品であり、ひときわ思い入れの深いモデルとなった。廣瀬はその後も“エモーショナル(感動を与える)”なニューモデルをリリースし続け、ブランドの地位はゆるぎないものとなった。
FX
2016年には創業10周年を記念して、オールチタン素材のフォールディングバイク、「XF」も発売した。その圧倒的な存在感と値段もさることながら、世界で限定50台のみ販売するというプレミア感も重なって、大きな話題を呼んだのは記憶に新しい。
XFの発表
台北ショー2016出展
“夢”を抱き続ける
廣瀬の今の夢、それはタイレルの全商品を一から製造できる体制を作ることだ。2015年、廣瀬はかねてからの念願でもあった自社工場、通称“タイレルファクトリー”を建造し、夢の実現に一歩近づいた。設備とスタッフの拡充も進み、一部のフレーム製造についてはすでに自社生産が始まっている。「楽しいからこそ、また情熱を傾けられるところがあるからこそ続けられる」、そう廣瀬は言う。自転車発祥の地、欧州での販売、さらにカーボン素材を使った新商品の開発も始まった。会社が誕生して14年、廣瀬の夢とアイデアは今も尽きることがない。
タイレルファクトリー完成(2015年9月)
ファクトリーイベント
国内外の販売店、創業期からのパートナーである台湾の協力工場、パーツメーカー、そして同じ夢を抱きともに汗を流す社員たち。「協力してくれる仲間あってのTYRELL」と、廣瀬は彼らへの感謝の思いをいつも忘れない。運命共同体といもいえる仲間たちとともに、次の夢に向かって廣瀬は今日も突き進む。
FCXコンセプト
社員とともに(2016年10月)
tyrelljapan